【STAGE 01】 京都・等持院〜奈良・一乗院(現奈良地方裁判所)

波乱の幕開け

等持院(京都市北区)

足利将軍家の菩提寺です

旅のスタート地点!
ここで旅の安全の御祈願を

達磨禅師
院内は落ち着いた雰囲気
廊下より
等持院庭園

芙蓉池

美しい庭です

実はこの時期
方丈(霊光殿)が大規模改修中で
そのことはHPで報されていたのですが

一番の目的だった
「足利義昭 木座像」ほか
歴代将軍の木像もすべて
九州国立博物館の方で修復中との事

ご縁が無く残念でした
(なので作中の木座像は院内で買った資料を参考としました)

庭園内に有る
初代足利尊氏公の墓所もありましたが

ここでもまた験を担ぐので
ご挨拶のみ
お写真は撮りません

旅先では事故やトラブルがないように
神経質なくらい験を担ぎます

院内ではお茶もいただけます

ホッと一息
ご挨拶も済んだところで
京より南下 奈良へ

いよいよ

足利義昭 波乱の人生

始まりの地へ!

奈良興福寺(奈良市)の大屋根!

奈良地方裁判所

将軍家次男だった公方様は
わずか5才で出家
29才までの丸々青春時代を過ごした
興福寺一乗院の跡に建ってます。

残念ながら当時を示す
遺構も無いとの事(職員の方・談)
奈良もやっぱり
外国人観光客多い

当時の興福寺は
たいへん裕福な大寺院で
そこで5才から「将軍家の血筋」として
大切に育てられた公方様に悲劇が襲います。

1565年

兄将軍義輝が 
三好一派に白昼堂々襲撃を受け殺されました。
義昭(覚慶)29才も
同一派に身柄を拘束、幽閉されます…

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