【STAGE 11】 備後鞆の浦

幻の幕府

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2年の雌伏期間を経て公方様は
一度は協力を拒んだ西の大国
毛利輝元の元へ
海路 押しかけていきます
というわけで僕も
和歌山港からフェリーに乗って
ひとまず四国徳島へ
まさしく看板娘!
「どうでしょう」 でも
乗ったフェリーです
なんか

ワクワクする

出航
四国大陸!
徳島!
出動!
四国遍路以来だから

…もう10年

なんだか
ワクワクじゃなく

ソワソワ

する!

東京への帰りは
川口探検隊よろしく
徳島からのフェリーで一晩なので
バイクはここに預け

毛利領広島へは

電車で高松→瀬戸大橋わたって→岡山
→福山→バスで鞆の浦

となります

車窓より
遍路一番札所霊山寺のそばだ!

なんだかやっぱり
ソワソワする

「歩きたい」というより

「歩かなければ」みたいな気持ち

四国遍路の呪縛…

遍路を終えてしばらく経ちますが
いまだに 歩く夢 をみて
「次の札所へ向かわねば!」
と 目を覚ますことがあります。

別に悪夢ではないですが
目覚めて後に「…歩かなきゃ…」って気持ちになる

これは 呪縛でしょう

車窓より
香川県屋島
瀬戸大橋を渡り
岡山駅
福山駅
バスに乗り換え…
福山市 鞆の浦

このスポットは
観光案内をお願いした
タクシーのおじさんが連れてきてくれました

いろんなドラマや物語の
舞台となった街です

宮崎駿監督がこの街を気に入り
家を借りてしばらく住んで
「崖の上のポニョ」つくったり

ヒュー・ジャックマン主演
「ウルヴァリン」のロケ地でもあります

なんにしても
いかにも物語が始まりそうな
風情のある景色です
有名な 鞆の常夜灯
公方様の頃には
こうした形のものではなかったようですが
鞆といえば これでしょう!
毛利には断りもいれず
気が付いた時にはもう
領国に上陸された後だったという…

押しかけ幕府

安国寺

毛利の外交僧 安国寺恵瓊の
安国寺

小松寺

公方様が滞在した寺

鞆の浦は

都を追われた初代足利尊氏公が
ここで光厳上皇の院宣を賜り
のち都に返り咲いた

足利幕府にとって縁起の良い土地

だったようです

公方様は
毛利を軸にあの手この手を画策

第三次信長包囲網

を敷くまで 信長を追い詰めますが…

結局 信長を倒すまでに至らず…

対潮楼

そして

信長が

明智光秀によって

本能寺で殺される

しかしその後

将軍ではなく
朝廷を担ぐことにした
豊臣秀吉によって
天下は治まっていく

※秀吉が将軍職を継ぐため
公方様の養子となることを求めたのを
公は断った …というエピソードは
江戸時代から語られ始めた逸話で
事実ではないようです

公方様はなかなか京へは戻れず
この鞆の地で
11年間を過ごします

そしてよく高台に上がり
この海を眺めていた…と

地元に伝わってるそうです

自分を将軍にしてくれた
信長

その信長を殺すために
将軍でありつづけた
自分

信長は死に
世の中ももはや
将軍である自分の事を必要としていない

自分が生涯をかけてこだわった
将軍とは
なんだったのか

鞆より山間部へ

タクシーのおじさんにお任せして
後に 公方様が幕府本拠を置いた

常国寺

毛利輝元より
将軍警護を任された

渡辺一族の菩提寺です

渡辺一族は

羅生門で鬼の腕を切った
渡辺綱の一族と伝わり
代々一字だけの名を名乗る

一字党 と呼ばれる氏族

寺のあちこちに
足利将軍家縁の寺を
示す印がみられます
将軍門
警護の褒美として
公方様より送られた陣羽織
(これは写真・実物は博物館へ)
実はこの常国寺

将軍家とは昔から 浅からぬ縁があり…

開山の日親上人が
足利六代将軍 義教を批判したために

ちょっと引くような
残虐な拷問

を受けました…

それから年を経て…

因果にも足利将軍義昭公が
この寺に居を構えることとなります。

そしてその因縁を知った義昭公
公方様は
いまこうして足利幕府が勢いを失うのも
その報いかも…と反省し
参拝を欠かさなかったそうです

ちなみに

左でフォローになってないフォローをしてるのは
入道した幕臣・一色藤長です

法難を与えた将軍家を
迎え入れて保護する…
これも仏縁というものでしょうか

懐が深いです

宿敵の信長が死に
庶民出の秀吉が世を治める…

その秀吉の九州征伐の折には
島津と秀吉の仲を取り持つような
活動をした公方様が
はたしてどのような心境であったか

「秀吉に擦り寄った」と考える向きも
多いようですが

どうも僕はこの
温暖で景色も美しい鞆の地で
公方様の毒気…のようなもの
我執 が抜けていったんじゃないか…と

根拠は無いのですが…

そうあってほしい

そうありたい

希望です

将軍になりたい!信長を殺したい!
義昭公の
「何か」を目指してしまった生き方
上手くいってる時は 充足しますが
おそらく ほとんどの時間が
つらく、焦燥感のつきまとう日々だったと思います。

…心を病むほどに…

しかし
京へ戻ってからの晩年は

将軍家存続とか
影響力を維持しようとか
そんなことは全く忘れてしまったように
秀吉に扶持をもらい
連歌会に能に、
安穏とした生活を送ったようです。

そして最後に
タクシーのおじさんに連れて行っていただいたのが

広島県福山市津之郷

惣堂神社

足利義昭 夫妻 を祀る

神社です

夫婦で祀られている というのが

なんだか 穏やかで

ここまで1000km以上
公方様ゆかりの史跡を辿ってきましたが

あまり大事にされてる印象が無くて…
(もしかしたらそんなことないのかもしれませんが)

だからこの神社の存在が
本当にうれしかった

「将軍様が来た」という事で
鞆の近隣には人が集り栄えたそうです。
だから ここでは義昭公のことを
軽く扱う雰囲気はないのではないか…とのこと

南面した段差は
公方様の館があったと伝わってます

当初 自分が考えていた
立場や状況ではないけれども
自分を必要としてくれてる人々に囲まれ

そして

これから
次の新しい時代がやってくる

その後

秀吉に受け入れられ
いちど京へ戻った公方様は

そのまま出家
跡取りは決めず

室町幕府は「消滅」しました

その秀吉の明出兵の見送りに九州まで出向き
途中、ここ鞆で病を発し

妻や、ここまで付き従ってくれた
家臣たちに看取られながら
この地で没した と
伝わっています

 

(20.07.02追記)

子供の頃から目指してたわけでなく20代も終わる寸前に
ポン…っと
(←ここがポイント

この国を動かすような「大望を抱き」

一度はそれを「叶え」

でもそれを「失い」

人生に不倶戴天とも思えるほどの「敵」が出現して
追い詰めたり 追い詰められたり

「挫折」したけど「復帰」して

結果的にだけど「敵に勝ち」

でも維持することに苦悶する「頂点」に返り咲くこともなく

晩年は落ち着いた世の中で
ここまで無茶振りに付き従ってくれた「部下」「家族」に看取られながら

「畳の上で死ぬ」

ドラマなどでは
「敗者の人生」みたいな描かれ方が多いけど
結果 こうしてみると 義昭公の人生は
ジェットコースターみたいで
僕にはすごく魅力的に思える。

戦国時代にもかかわらず
裏切られ殺されたり
志半ばで死亡したり
(餓死レベルの) 困窮して落ちぶれたりせず

もともと寺で安穏と暮らしていたのに
「ポンっと渡された物語の主人公を演じきった」ような生き方。

…もし
戦国時代の「誰か」の人生を
追体験できるなら
僕はやっぱり

「足利義昭」が良いなあと
思えるのです。

※もしかしたら 今後また違った感想が
生まれるかもしれないので
漫画には描きませんでしたが
そんな事を思いました。

兄将軍、家族の悲惨な死
一乗院からの脱出

貧乏や

モラハラや

うつ病を乗り越え

戦国の英雄達と渡り合い

人生の絶頂と

どん底を経験した

波乱万丈の人生

足利義昭の足跡を辿る旅

これにて終了

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