39話・福島県 国道6号線

遠野でお世話になった大学の先輩が
わざわざ相馬まで出向いてくれて
ゴールを見届けてくれました。

その先輩にお願いして
原発事故で通行規制中の国道6号線を
一般車でいけるところまで
乗せていってもらいました

雨の車窓からの景色なので
見難いかもしれませんが
震災から2年半経った

2013年 10月の景色です

(一部写真をトリミングとズームしています)

分かりにくいですが
草の生えた瓦礫の山です
町はそのままですが
薄曇の中 見える灯りは
いま走っている車道の信号機のみ
国道6号からの
脇道への入り口は
すべて封鎖されています
原発10km手前

2013年 10月の時点では
通行許可証の無い車は
この先には進めず
Uターンするよう警察の誘導を受けます
ここからは

2015年3月

通行規制は解除され
車から降りない事を条件に
国道6号は通り抜けが可能となりました
前回 Uターンした場所
「こうしたデータが出てる」

「だから危険」 「だから大丈夫」

と言われても
僕のような素人の付け焼刃の知識では
どちらが正しいのか判断できません。

また

「被災地を復興させたい」という気持ちでは
みな一致してるはずなのに (関心の濃淡はあれど)

「原発反対」か「原発容認」か の問題になると

とたんに 水と油のように反発しあって
ぜったいまとまらない…。

そうした議論や意見を
この作品で語るつもりはありません。

(それはこの国のこれからの方向性の問題であって
起こった震災に対して何ができるか?というテーマとは外れます)

ただ

ここまで被災地を歩いてきて知ることができた
時間の経過と共に変化してきた景色、

出会った方々が話してくれた
大変だった話し、うれしかった話

そうした
震災を経て、それでも復興へ向けて
その地で「生きる」ということが
いまだ 出来ない場所がある

「どう復興させるか?」という議論すら
始まらない土地がある

という事実

 
 

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