【6日目】

【2017年3月30日(木)】

岩手県 大船渡市 BRT『小友駅』 スタート

am08:00
BRT小友駅 集合

6日間の巡礼
山伏Yさんのほら貝の音で
最終日スタート
歩きながら
気仙地方の方言レクチャーをいただきました

「アガラセン!」=「(家に)上がっていきな!」
命令調ですが 心がこもってる言葉
参道をあがり
【28箇所目(二十七番札所)】『常膳寺』(じょうぜんじ)

観音堂 裏手には
坂上田村麻呂に討伐された
3人目の「鬼」「早虎(はやとら)」が
住んでいたとされる岩窟があります。
観音様は
小友観音と呼ばれる「十一面観音」で
秘仏です

写真は前仏で、白い布の向こうに
「十一面観音」が安置されています
立派な大きな天然記念物
「姥杉」
(樹齢1000年、樹高70m)
次の札所へ
振り返って

写真奥の山に
昨日登った『田端観音堂』があるようです

私道でショートカットします
「小友地蔵尊」にて御供養
311震災での犠牲者を悼む
お地蔵様
【29箇所目(二十八番札所)】『立山観音堂』(たちやま)

本来、もう少し下の場所にあったのですが
東日本大震災で被災し、
2016年 こちらの海が見渡せる高台へ再建されました。

この日、
子供からお年寄りまで
地域の方々が待っててくださり
お接待をいただきました
ありがとうございます!

ま新しいお堂の中で
読経とご詠歌
観音様は
最近彫られた
かわいらしい「あゆみ観音」

その名の通り
右足を心持前に進めています
地域の子供が書いた
「あゆみかんのんさま」

前の観音様は津波で流されてしまいましたが
こうしてまた新しい観音様が
地域に親しまれて長い歴史になっていきます
写真奥、対岸から
この巡礼はスタートしました

その後、右手へ山をぐるっと回り
今日、三十三カ所 結願します
次の札所へ
【30箇所目(二十九番札所)】『普門寺』(ふもんじ)

仁治2年(1241)開基 「記外和尚」による開山です

「記外和尚」は三度、宋へ渡航。
帰国の際に「大元宋帝」より「五種の宝贐(ほうじん)」を賜り
その第一「聖観音像」が安置されているとのこと。
そして境内の奥には
311震災で亡くなった
身元のまだ分からない方々のご遺骨が
安置されている墓所があります
墓標にお名前は無く
「見つかった場所」と「番号」が振られています
ここでご供養の読経

いつも明るくお寺の来歴などを
説明してくれる福田さんも
ここでは言葉も出ないご様子でした
震災後
多くの皆さんが彫った
羅漢像があります
お昼休憩の後
次の札所へ
【31箇所目(三十一番札所)】『氷上本地堂』(ひかみほんちどう)

「本地」とは
この地域の御山、氷上山(874m)山頂に置かれた
神仏混淆の聖地を指すそうです。

明治に入りこの神仏混淆が禁止され
「氷上神社」になりましたが
観音札所として親しまれ続けています
次の札所は
お堂が被災して無くなってしまいましたが
観音様はご無事で
こちらのお寺へ移転されました
【32箇所目(三十二番札所)】『坂口観音堂』 (さかぐち)
(「光照寺」)

こちら「光照寺」には
気仙三十三観音巡りを選定した
「佐々木三郎左衛門知則の墓」があります
ご無事だった観音様
境内には
震災で流されてしまった「陸前高田駅」
駅舎を模した建物があります
整地の進む
陸前高田の道を進み
いよいよ最後の札所へ
pm01:30
三十三観音巡礼も
いよいよ終わり
【33箇所目(三十三番札所)】『浄土寺』(じょうどじ)

承和年間(834〜848)、
矢作町雪沢金山に天台宗の僧によって
創建されたとの伝があり、
その後、天正二年(1574)
現在のこちらへ移転したのだそうです。
震災時、津波によりこの観音堂が浮き上がり
建物の向きがずれてしまったとのこと。
幸い、建物自体は無事で、
現在もこうしてお参りできます
結願後
みなさんそれぞれご挨拶
とても6日間とは思えない 
本当に濃い時間でした。
体感的には一ヶ月くらい歩いた気がしています。

それほどいろんな話を聞いて
しゃべって 見て 感じた巡礼だったのかもしれません。

みなさんとお別れ 「また来年!」と手を振り
この日は一人バスに乗って気仙沼へ向かいました。
この日は気仙沼で一泊し
翌日、入院中の祖母を見舞って
今回のご朱印帳をお見舞いに渡して
東京へ帰りました。
 
 

【本日の移動距離 ルート】

【BRT『小友駅』〜6箇所巡拝・結願/ BRT『気仙沼』まで】

【曇天 12.8km】

【ルート参考MAP】 製作中

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