34話・宮城県名取市

閖上大橋
ここを渡れば名取市です
この日は
2014年3月11日でした

警察の方々が
いまだ発見されていない方の捜索を
していました
2014年3月11日
東京や他所の地域では
追悼イベントや慰霊集会が行われますが
被災地では「追悼」や「慰霊」ではなく
身近な人の「三回忌」です

もう長く被災地で
ボランティア活動されている方でさえ
「この日ばかりは被災地に身の置き所が無い」
そんな事をおっしゃっていました

僕も、この日
大きな荷物を背負って歩き回ることなどせず
宿で静かに過ごせばよかったと
後悔しました

「部外者が被災地を歩く事に意味などあるのか」
その気持ちは旅の最中から
戻って漫画を描く間もずっと
抱き続けていました。

それに対する あいまいではありますが
一つの答えは
作品の中で出すことができたと思っています
閖上小学校近くの歩道橋より
閖上小学校

震災当日は大勢の方が避難してきました。
避難できた方々は翌日全員無事に自衛隊の救助を受けました。
建物は取り壊され、同じく被災した閖上中学校と併合され
小中一貫校としてこの近くに再建される予定です。

閖上の海へ向かいます
(ここよりは2015年3月末 取材時の写真です)
貞山堀
塩釜からこの先の岩沼市阿武隈川河口まで
仙台湾に沿って全長約36kmの運河は
日本最長だそうです
1960年チリ地震大津波では
この仙台湾沿岸の被害は少なく、
その時の体験から
「津波は、貞山堀を超えてはこない」との
先入観を生んでしまったそうです。
(NHKスペシャルより)

しかし津波は
大きく貞山堀を越えました

「油断があった」
そんな事を言う「外」の人間が
僕の周りにも居ますが
(そんな事を言う人に限って自身は避難袋の一つも用意していない)

それは結果を見てから言える事であって
現地で地震直後に津波が来るとすぐ考えた人でさえ
あそこまで大きな津波が来るとは
想像しなかったそうです。

あの日
亡くなった二万人近い人々の
誰一人として
その日の朝に「今日自分が死ぬ」なんてことは
考えていなかったはずです。

貞山堀を越え
日和山神社へ向かいます
その近くの
閖上慰霊碑
高さはここ閖上を襲った津波と同じ8.4m、
復興の気持ちを込め、
発芽した「芽生えの塔」をモニュメントとした慰霊碑です。
日和山神社
正式名称は
富主姫神社(とみぬしひめじんじゃ)

同じ閖上で被災した湊神社の末社で
現在は両神社ともここ
日和山で祀られています。

日和山神社より見た景色

どのような町だったのでしょうか
一観光客の僕には
残念ながら想像もできません
(2015年時点)
ゆりあげ港朝市へ
地域の復興、観光の拠点として整備され復活した
閖上地区で震災以前から開かれていた朝市です。
新鮮な魚介類だけでなく各種屋台から駄菓子、スイーツ、
買った海老やホタテを炉端焼きコーナーで焼いて
その場で食べることも出来ます。

開催は日曜日・祝日 6:00〜13:00

この日は行くのが遅かったので
人手のピークは過ぎてました
メイプル館 カナダ〜東北友好記念館
カナダの震災復興支援プロジェクトの一環として
カナダ産木材を使用して建てられた施設です。
飲食店、おみやげ物、震災を伝えるギャラリーなどが
開設されています。

日曜日・祝日 6:00〜13:00
平日・土曜10:00〜16:00

日差しが明るくて
お茶飲むに良い感じです。
スタッフの方にお話し聞かせていただきました
Tシャツ買いました!
一路
次の岩沼市へ
仙台湾沿いの地域は平野であるため
その津波被害も大きく
まだまだ復興には遠い景色も多いですが
朝市や慰霊碑や再建された神社や
地域の方々が復興の足掛かりにしようと
前向きにがんばってる場所もあって

観光客がそこを辿ることで
少しでも現地のプラスになることがあるのなら
歩く価値は充分あると思うのです
 
 

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