29話・宮城県東松島市

早朝、石巻市羽黒町近辺を出発
石巻街道を西へ
ここはむかし 金華山への参拝道だったようです
石巻街道(県道398号)
北上運河に突き当たり、そこから海方面へ
ちなみにこの運河沿い ラブホが多いです
橋を渡り 東松島市へ
橋にまだ残る 津波の被害跡
東松島市大曲地区へ
海岸線の平地のため大勢の方が亡くなりました。
大曲浜慰霊碑に手を合わせてきました
航空自衛隊松島基地
航空自衛隊松島基地
ここもやはり、津波による被害を受け
災害時に飛ばすはずの救助ヘリなどが飛ばせなくなりました。
なすべき事が出来ない隊員達の辛さはいかばかりだったか。
しかしそんな中でもゴムボートを繰り出し
被災者救助に奮闘しました。

この時(2014年)はすでに
基地の周りを土の堤防がぐるっと囲んでありました
航空自衛隊松島基地
別の日に
矢本駅から松島海岸駅行きの代行バスに乗った際
前の席の若者達がどうやらこの松島基地の非番の隊員だったようですが
会話の内容が PSPのゲームの話しとかテレビの話しとかで
「ああこの人たちが災害時に泥にまみれてがんばってくれてるんだ」
と思うと、親近感が湧き 逆に心強かったです

この国は自分と同じ普通の感覚の人たちが支えている
松島基地といえば
ブルーインパルス!
この辺りで
いよいよヒザがどうしようもなく痛くなって
コメリでサポーターを買いました
一路
鳴瀬大橋を渡り野蒜へ
この河も震災時には
大量の瓦礫を押し流しつつ逆流したそうです
とてもそんな面影はありません
爽やかな土手道
2015年に再開予定の仙石線
完成すれば
仙台から石巻、その先の女川までの
行き来が便利になります

代行バスは、
サービスとか乗り心地は悪くないのですが
座る場所によっては途中下車がし難い…
野蒜駅
この地区も
大きな被害を受けました
被害もそのままの駅ホーム
新しい仙石線野蒜駅は
ここより内陸に移されるそうです
トイレ休憩
一年後の2015年3月に再びここを訪れた際には
駅舎にコンビニが入ってて非常にありがたかったです
この先へ進むと
野蒜海岸
ここからは
2015年3月の取材です
野蒜海岸から宮戸島を目指し歩きます
野蒜海岸
学生時代、サークルの合宿で遊びに来た際
この海岸で花火をしました
(2015年3月取材)
今は その時泊まった宿舎も
その面影もありません
(2015年3月取材)
30分ほどボーっとしてから
再び出発
宮戸島へ
宮戸島
松島四景の一つ
「壮観」へ
展望台まで20分ほどだそうです
結構 登りでのある道…
結構…
登頂!

パノラマ!
(クリックすると大きい画像になります)

先客だった地元のおじさんの話しによると
「今日はモヤってていまいち」だそうですが
松島四景の中ではこの「壮観」が
一番美しいとイチオシでした。

「夕日が美しい!」とのことでしたので
作中では夕方にしました

これから向かう
松島の町
おじさんと分かれてしばし休憩
美しい
壮観を下り
奥松島縄文村へ
この近辺で発掘された
縄文時代の資料の数々を展示してあります
縄文の住居
中は前日の雨のせいか、水が溜まってましたが
縄文人は雨が降る度に排水とかどうしてたんだろう…
縄文センス!
縄文食器!
洗うのが大変そう
縄文狩り!
そのモリでそのカツオはちょっと無謀じゃないか
縄文人の顔についての展示イベントが
この日の翌日からで残念でした
縄文人は 弥生人と比べて
顔の毛が濃く、顔の作りもゴツゴツしているようで
僕の親戚もみなそんな感じなんですが
やっぱり東北には縄文系の人が多いのでしょうか。
再び野蒜海岸
(2014年3月取材)

商店兼お休みどころの「希望のあかり」さんで休憩
カップラーメン食べたり
店主のおばちゃんに震災当時の話を聞かせていただいたり
1時間以上休ませていただきました。

潮風トレイルが整備されていって
こうした、休憩と 地元の方との接点が作れる
お店が増えてくれると非常にありがたいです
一路
松島町へ
この日は松島で一泊の予定
友人の勤めてるホテルへ。

事前に連絡せず向かいます。
復興支援なんだから
もちろん自腹で泊まります!
 

一市町村一絵

東松島

大高森

日本三景のひとつ
松島の絶景を
少し離れた所から堪能できる
大高森
近くには縄文土器や石器が多数出土した
奥松島縄文村歴史資料館があります
縄文人もこの景色を見ていたに違いない!
(当時は地形が違った等は目を瞑って下さい)

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