北上川河口(旧北上町・旧雄勝町)

南三陸町から北上川河口へ
綺麗な海です
東北のエーゲ海
こちらは
大盤平放牧場から北上川河口方面へ
降りてくる景色です

(10月撮影)

(10月撮影)

2013年取材時は
ここからヒッチハイクで車に乗せていただき
石巻まで出てそこで宿を取りました。

乗せていただいたおじさんが
石巻に住んでいた方で、
震災当時の事を色々と聞かせていただきました。

ルートは
国道398号線を北上川に沿って登り
北上大橋を渡って雄勝町、女川町へと
進みます
北上川河口
全長249km、河口での川幅約700mの
東北を代表する大河です。
歩道もまだ
あちこちそのままに
お地蔵様前のお店
トイレをお借りして休ませていただきました。
中は商店兼児童館のような感じで
地元の大人が奥の座敷で茶飲み話し、
手前の座敷で小学生低学年くらいの男の子2人が
コロコロコミックを読んでました。

心休まる雰囲気です


初めは変なオッサンに警戒していた小学生でしたが
このオッサンは絵が描けるオッサンなので
コロコロコミックを参考に
妖怪ウォッチなるものの絵を模写すると
「おじさんなのになんで!」と、大変驚かれました。

再び
北上川堤防沿いを歩きます
大規模な堤防工事で
工事車両ばかりです。

川沿いで風が強かったですが
おじさんに温かい缶コーヒーを頂き
ほんとうにうれしかったです。

ここは
海から離れた結構な内陸ですが
北上川を遡上して溢れた津波によって
大きな被害が出ました。

海だけでなく
河の津波です

堤防沿いの道
巡回バスなどは
ここより内陸側の道を走っています
新北上大橋

津波被害で一部が崩落
当時、この近辺を車で移動中だったおじさんが
「あと数分ずれてたら橋の上で
津波に飲まれていたかもしれない」
と、語ってくれました。
橋より、河口を望む

海は見えないのですが…
渡橋
大川小学校

児童、職員
大勢の方が亡くなりました
小学校から北上川方面を望む。

嵩上げ工事などが始まっていますが
海は見えません

子供が犠牲になる出来事は、
どのような状況、場合であっても
100パーセント、周囲の大人の責任です。
責任であるべきです。

ただ
報道や世論からだけでは
分からない事もあるのだと、
この場に立って実感しました。

もしあの当時、自分がこの場にいて
子供たちに責任のある立場だったら
僕もここまで津波が来るとは考えず
判断を誤ったと思います。
災害で親しい人を亡くした辛さ悲しさは
天災のせいである と思えれば
時間が和らげてくれる心境も
あるかもしれません。

しかし

責任ある大人が周りにいる状況で
子供を亡くした遺族の方々
その当時の状況、真実を知るために
裁判に踏み切った方々は おそらく 係争中は毎日
心安らぐことは無いのだろうと想像した時に
押し潰されるような気持ちになりました。
テレビや新聞で知る震災は
辛くはあっても
やはりそれは情報です。

歩いて旅をすると
小さくとも地元の人との「縁」ができます。
「縁」は「情」を生み
数字や情報ではない辛さを実感します。
一路
峠を越えて雄勝町へ
釜谷峠
なんだかホッとする
移動販売カー

デコポンを買いました
雄勝町
住民の内
7割の方々が津波により被災し、
家屋を無くしました。

大きな被害のあった地域です
主要都市をつなぐ道から
大きく外れるので
なかなか復興も進んでいないように感じられましたが
だかこそ
みちのく潮風トレイルが
復興の一助となってくれる事を願います
写真は小さいのですが
雄勝町でがんばる
手打ち蕎麦屋
「てらっぱだげ」さん
おいしいお蕎麦を頂きました。
歩き旅には消化の良い麺類はありがたいです。

当時店内で一緒だった
漫画好きのNPO法人のおじさんと共に
食後にいろいろとお話
聞かせていただきました。

本出来たら送ります!

看板犬たろちゃん
人懐っこい子です

犬は撫でると
何かが回復します
食後じゅうぶん休んで出発
作品では夜でしたが
暗いし、工事中の所も多いし
車危ないしで
「夜歩くなんて無理!」
だそうです
木にひっかかってる魚網
水浜地区
本日のお宿
全勝旅館さん
やはり色々とお話し聞かせていただき
ありがとうございました

さっきの「てらっぱだげ」さんもそうですが
本当はもっと良い写真があるのですが
人が映ってるとボカシをかけなくてはなりませんし
それもなんだか無粋だし
全勝旅館さんからの海
北上町の商店で
小学生が描いてくれた
ジバニャン

今回の旅で
一番印象に残った土地が
この北上町、雄勝町でした

 
 
 
 
 
 

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